> [酷道実走調査] > [国道291号 清水峠越え]
「国道」と言えば自動車交通が念頭に置かれたもの――たとえそれが、乗用車がすれ違えないほどの狭さであっても、「国道」といえばそういうものだと普通は考える。だが、国道についての知識が増えるにつれ、実はそうではないことに驚かされる。つまり、歩行者しか通行できない登山道のような道であっても、何がしかの理由によって国道指定を受けているところがあるのだ。 (今ここでは歴史的理由か。)
今回紹介する国道291号清水峠越えもそのひとつ、「点線国道」(地形図に点線で記載されているため)だとか、「登山道国道」などと呼ばれる区間だ。峠を挟む群馬県水上町側、新潟県塩沢町側ともに車で入れるのは、峠には遥か遠いふもとまで。この区間を越えるには徒歩によるしかない。(→最後の脚注は必ずお読み下さい。)
※ 写真の下の説明書きに「新潟側を向いて」などとあるのはどちら側を向いて写真を撮ったかです。
午前4時半、R291清水峠越え開始。
(新潟側を向いて) |
一の倉沢より奥は車両進入禁止。
(新潟側を向いて) |
「旧清水峠越国道の石垣」。
(群馬側を向いて) |
しばらくは車が入ったような跡が続く。
(新潟側を向いて) |
沢を渡る所も、コンクリートで整備。
(新潟側を向いて) |
開鑿当時の道幅ほぼそのまま。
(新潟側を向いて) |
国道291号清水峠越え区間には2002年7月13日(土)、群馬県側から入った。車が入れるのは一ノ倉沢手前の駐車場まで。その先はバリケードが組んであってオフロードカーであっても進入不可能だ。今回は全行程が10時間ほどと見込まれることから、午前4時前に一ノ倉沢末端に到着。登山用の準備などをしつつ、徒歩開始は午前4時半だった。
この清水峠越えは今でこそ登山道と化し、人しか入ることが出来ないが(マウンテンバイクは担いでなら入ることも出来るようだ)実は明治時代に馬車交通を念頭に拓かれた道で、幅4mほどの平らな土地が延々確保されている。そのため車両進入禁止の区間に入ってしばらくの間は未舗装の林道のような感じで、山の斜面側には石垣が残っていたりと、単なる登山道ではなく、かつて馬車交通のために拓かれた道であることが随所で分かる。
峠へ近づくにつれ荒れてくる。
(新潟側を向いて) |
沢と交差するところ、崩落多し。
(新潟側を向いて) |
沢によって道が寸断されている様子。
(群馬側を向いて) |
見上げれば、稜線が高く聳え立つ。
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こんなでも平らな部分の幅は約4m。
(新潟側を向いて) |
道路が敷かれていたとすぐわかる。
(新潟側を向いて) |
しかし冬は雪に閉ざされ、また急峻な地形であることも相まって崩落も激しいこの区間、馬車交通に堪えうる状態を保ったのはあまり長くはなかったようだ。次第に人も入らなくなれば、あとは一部の踏み跡を残して自然に還えるのみ。峠側へ進み行けば、確かに平らな土地は判別出来るものの草木に覆われ、足元は言うに及ばず頭上すら注意せねばならなくなってくる。また、最初のころは沢を渡る箇所はコンクリートで整備してあったのがそれもなくなり、完全に道が流され無くなってしまっているところもある。こうなると人でも通行困難な状態だ。沢への降り・登りには手を使い、しっかり体を安定させなければならない。
草木に覆われていた国道も、その草木が次第に減ってくれば(風が吹くからだろうか)峠もすぐとなる。ふもとを午前4時半に出発、約7時間ほどの徒歩の後、午前11時半過ぎに清水峠に到着した。峠付近の道は笹に覆われてはいるものの、開鑿から100年余り経た今でも十分にその存在がわかるほどだった。
国道291号線清水峠、現在の様子。
(新潟側を向いて) |
登山道にきっちり国道マーク。
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峠の新潟側点線の部分は入れない。
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ここも同じく約4m幅は確保してある。
(新潟側を向いて) |
開鑿半年で通行不可の道・・・
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ここで国道は右側奥へ。進入不可。
(新潟側を向いて) |
大休止の後、清水峠は午後1時半前の出発。峠から少し下ったところにある登山道案内板には国道291号を示すマークがきっちり付してあって、国道を辿ることを目的とする人間にはちょっぴりうれしい。ところでこの国道291号、群馬側は車両通行止地点から峠までの全区間が登山道となっていて、荒れてはいるが歩けない状態ではなかった。しかし峠の新潟側、群馬側よりも人が歩くために整備の行き届いているしばらくの区間を過ぎれば、完全に人の入れない状態になってしまう。現在登山道として使われている井坪坂コースが分岐する地点から先、新潟側車が入れる最終地点までの区間は、国道として制定されているだけで、実態としては完全に廃道となっている。
分岐点にあった案内板によれば、新潟県側、現在の国道291号として制定されている道はもともと明治18年9月に拓かれたが、翌10月には既に崩落激しく、明治19年(つまり翌春か?)にも雪崩や雪解け水によって大きな被害を受けたとのこと。そして、馬車交通を念頭に置いた道は勾配を緩やかにするため、山の斜面を等高線をなぞる形で進んで行くが、人が歩く場合は勾配よりも距離の方が問題。なので、勾配はきついものの距離の短い井坪坂コースがある以上、このルートは次第に使われなくなっていったらしい。
国道を出来るだけ辿りたい人間としては、なんとか現在国道291号として制定されている方へ入って行きたいが、やはりここは諦め、井坪坂コースにてふもと清水集落へ下って行くことにした。車が入れる最終地点には、途中降り出した雨に濡れ、また増水しかけの沢を幾つか渡り、かなりの疲労の中午後4時半頃に到着した。厳密に言えば新潟側は国道を辿ってはいないが、国道291号清水峠越えは約12時間の行程にて幕を閉じた。