> [旧道ルート探訪] > [三重県 尾鷲市内 (旧国道42号)]
(↑地図内にある番号は下の写真の番号です↑) |
旧国道42号の最大のハイライトと言えば、熊野市尾鷲市間にある矢ノ川(やのこ)峠越えだ。 現在では大又・矢ノ川と2つの長大トンネルで抜けてしまうためにあっという間ではあるが、 峠越えルートは距離が長く、紀伊半島周回ルートの最難所であった。紀勢本線の熊野市尾鷲間が 未開通の時には国鉄バスがこのルートを使って2駅の間を連絡していたことなど、現在の様子からは ほぼ想像が出来ないほど荒れてしまっていて、かえってそれがために知名度は高いようである。
しかし、やや目を転じて尾鷲市街地に目を向けてみるとき、今の国道42号の状況からすれば 「こんなところが国道だったのか」と驚くような、家々が立ち並ぶ中を進みゆく旧道に気づく。 現在のルートは市街地の西側を巻くように走り、片側2車線の快適なバイパスであるためあっという間に 市街地を通り過ぎてしまうのだが、旧国道ルートは非常に狭く、そうはいかなかっただろうことは 簡単に想像できる。ここでは市街地のみを取り上げるが、旧道ルートが市街地北側で現在のルートと 交わるのは、尾鷲トンネルを越えた紀北町側まで進まなければならない。
2005年12月28日(水)、市街地南側矢ノ浜南交差点から北側の山越えにかかる手前 北浦町付近まで歩いてみた。写真(7)付近までは路線バスが走ったりと、それなりの交通量は あったが、以北は一方通行規制が敷かれていたりしてとても狭く、通過交通には完全不向きな道幅だった。 それゆえか、交通量は少ないものだった。なお、写真(18)を越えてしばらくのところ (道路が北に大きく曲がる地点の少し手前)にあるやや古びた看板によれば、その先1.8kmにある 丑の谷橋が危険なため「全面通行止」とのこと。
〔追記〕 丑の谷橋ですが、2006年3月18日(土)に現地を訪れてみたところ、橋は完全に崩落 してしまっており通り抜けることは出来ません。非常に危険です。
参照文献: 『道路地図帳(近畿編)』 和楽路屋 (1962年度版)、 『ミリオン最新道路地図帖』 東京地図出版 (昭和39年)
1:矢ノ浜南交差点を右斜めへ入りゆく | 2:国道42号からすぐのところを左へ | 3:しばらく中央線のない状態が続く |
4:軒先を路線バスが走っていく | 5:JRと交差する南側付近の様子 | 6:中川の中川橋(現道は新中川橋) |
7:ここから先狭く、しばらく一方通行 | 8:左の写真から先に進みすぐの辺り | 9:かつて国道であった狭めの路地 |
10:家々が立ち並ぶ中を進む旧国道 | 11:交通量はあまり多くない | 12:駅前から続く通りと交差する付近 |
13:この付近も狭いので一方通行 | 14:銀行のある角を左へ折れる | 15:左へ折れて、次を右へ曲がる |
16:路面の黄色が走行注意を促す | 17:北川を越えるあたりの様子 | 18:築堤で山側へと登っていく旧道 |