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京都府 京都市内 (旧国道24号)

国道24号旧道地図
(↑地図内にある番号は下の写真の番号です↑)

今ここで扱うのは1960年代初期の道路の話だが、時代を更に遡れば、京都市南部伏見地域は 公共交通機関の変遷がかなり激しいところだ。現在、複数の鉄道路線がかなり込み入った状況を 呈しているが、これは現JR奈良線の稲荷駅の南までかつては東海道線であったり、その代わりに 現近鉄京都線のラインが奈良線であったりと、この他にも様々に複雑な歴史を経てきたためでもある。

では、ここを走る国道24号は昔どのようなルートを辿っていたのか。現在のルートに確定するまで いくつかの段階を経た可能性は十分あるのだが、今ここでは1962年・1964年の時点での 道路地図に記載されている旧国道24号を見てみることにする。おおまかに言うならば、現国道24号 が河原町十条で西へ折れるのに対して反対側東方面へ。師団街道からそのまま、途中屈曲を経つつも ほぼまっすぐ南下する、ということになる。

2005年8月17日(水)に、北から南の向きで十条から観月橋まで歩いてみた。十条から南下する 師団街道は片側1車線の道で交通量も非常に多い。名神高速道路をくぐって左、そしてすぐに右へと折れる と深草飯食町(ふかくさいじきちょう)に至る。ここから南は南行き一方通行だ。ただし二輪は規制 対象外で、交通量も多い。道路は、1.5車線から十分2車線取れるほどのものが、幅を変えつつ 進んでいくことになる。

今更言う必要もないことだが伏見は歴史のある街だ。それゆえ、沿道には歴史を感じさせる建物が多い。 京都市によって「歴史的意匠建造物」として指定された旨の銘板を付けた家もあった。また、伏見と いえばその名の由来になったとも言われる「水」だが、軒先で自由に水が飲めるようになっている ところもあった。伏見の街中も大手筋通りを過ぎれば交通量も減り、時代が数十年止まってしまったか のような雰囲気であった。

参照文献: 『道路地図帳(近畿編)』 和楽路屋 (1962年度版)、 『ミリオン最新道路地図帖』 東京地図出版 (昭和39年)

〔追記〕 国道24号伏見バイパスの事業着手は昭和31年(1956)のことで、 供用が開始されたのは昭和47年(1972)2月。上記で、ここで取り上げた旧道から 現在の国道へ推移する際、いくつかの段階(全くの別ルート)を経た可能性について触れたが、 これは否定してよい。もちろん現国道が一気に開通したわけではなく、南側・観月橋寄りの方が 先に出来た。(近鉄伏見駅北西部以北は元からあった道路を国道に変更。)

参照文献を読んでいると、旧国道24号の1960年代の舗装状況について、 あまりの劣悪さに「酷道」などという呼称があった(と、文献の筆者が記憶している)との記述があり、 この表現の歴史を垣間見れるようでもある。ちなみに、新観月橋は昭和45年 事業着手で昭和50年3月供用開始。

参照文献: 『京都国道の20年』 建設省近畿地方建設局京都国道工事事務所 (昭和54年)

《 師団街道十条交差点から深草飯食町交差点へ 》

1:十条から師団街道を南へと下る 2:市バス南5系統京都駅行きが走る 3:名神高速道路は深草バス停付近
4:名神をくぐると左へと折れる 5:そしてすぐに右斜めへすすむ 6:深草飯食町以南、南行き一通

《 深草飯食町交差点から国道24号との交差点へ 》

7:深草飯食町を越えると狭くなる 8:欄干に明治44年の文字がある橋 9:沿道には時代を感じさせる家々が
10:京阪電車は墨染駅付近となる 11:国道24号との交差点前 12:進んできた方を振り返ってみる

《 国道24号との交差点から観月橋北詰交差点へ 》

13:近鉄京都線とは立体交差で 14:京阪電車とは平面交差で越える 15:京阪近鉄の2駅に挟まれる付近
16:南向き直進区間もあと少しで終り 17:屈曲を経て観月橋方面へ進みゆく 18:高架道路は外環状線のもの