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三重県 伊勢〜松阪 (旧国道23号)

国道23号旧道地図
(↑地図内にある番号は下の写真の番号です↑)

現在、国道23号といえば愛知県豊明市から三重県四日市市間の通称「名四道路」に代表されるように、 かなりの区間ににわたって片側2車線、場所によっては片側3車線にもなっていて、長距離トラックが ひっきりなしに走る幹線道路というイメージが非常に強い。しかし1960年代初期、国道23号として あったのは三重県四日市市から伊勢市の約60kmのあいだだけであり(今は愛知県豊橋市から 三重県伊勢市まで)、道路状況も現在からは想像できない貧弱なところもあった。

ここで取り上げるのは、現在の伊勢市から松阪市のあいだ(宮川から櫛田川まで)の約15kmの 区間だ。ほぼ旧伊勢街道のルートを踏襲していて(沿道には例えば、1775年から続くお菓子屋が あったりする)、道幅も狭いところが非常に多い。この区間、今では三重県道428号伊勢小俣松阪線と なっているのだが、1960年代当時の道路地図を見てみると、JR参宮線宮川駅付近の旧道ルートは 少し違うようだ。屈曲を重ねながらの集落通過を避けるため、ある時期にルートが変更されたか。

今この付近の国道23号はかなり東側を南勢バイパスとして走っているが、南勢バイパスが出来る前の 国道23号は現在の県道37号鳥羽松阪線で、これは昭和28年(1953)12月開通の旧参宮道路だ。 約11kmを小型・普通ともに100円の有料道路だった。昭和42年(1967)3月には 無料解放されている。つまり、ここで取り上げた旧国道23号は1960年代には国道ではあったものの、 既にメインのルートではない。南勢バイパスは昭和45年(1970)に事業化され、 昭和50年(1975)10月に全線2車線暫定供用されている(全線4車線化は1994年)。

2005年9月14日(水)に、伊勢市域から松阪市域の向きで自転車で走ってみた。宮川にかかる 度会(わたらい)橋からJR参宮線をくぐるまでの間と、小俣町内2箇所のしばらくの区間を除いては 中央線のない区間が続いていて、旧街道の雰囲気が濃厚に感じられた。写真番号22で取り上げたように、 外宮までの距離が示された道標があったり、また案内板に、明治時代まで付近にそうめん屋が あったのでこの坂を「そうめん坂」と呼びます、ということが書かれてあったりした。

参照文献: 『道路地図帳(近畿編)』 和楽路屋 (1962年度版)、 『実用ゴールデンマップ道路地図(西日本編)』 元文社 (昭和40年)

『日本道路公団年報』 日本道路公団 (平成13年版)、 「南勢バイパス」 (国土交通省紀勢国道事務所)

〔追記〕 参宮道路は昭和17年(1942)に廃止された関西急行鉄道伊勢線の軌道跡を利用している(開業時は、伊勢電気鉄道本線)。

参照サイト: 「伊勢電気鉄道」 「大阪電気軌道」 (ウィキペディア)、 「近鉄伊勢線廃線跡」 (近鉄電車と模型のページ)

《 度会橋(宮川)から外城田川までのあいだ 》

1:宮川の堤防にてJR参宮線をくぐる 2:ここの交差点を右へ折れる 3:「交差点注意」の看板とミラー
4:交差点を右へ、旧街道へ復帰する 5:この付近はこれくらいの幅が続く 6:外城田川を越え、先へと進みゆく

《 外城田川から小俣明和町境までのあいだ 》

7:家々が立ち並ぶ中を進みゆく 8:ここからしばらくの間は2車線に 9:近鉄明野駅に近づくと再び1車線
10:この交差点を左に折れる 11:松阪へはここから7km 12:左折してすぐのあたりの様子

《 小俣明和町境から上野交差点までのあいだ 》

13:これくらいの幅で集落の中を進む 14:このあたりは少し狭いようだ 15:緩やかなカーブが続くことが多いが
16:見通不良箇所が続くわけではない 17:この付近の道幅はやや広い目か 18:近鉄明星駅あたりのようす

《 上野交差点から櫛田橋(櫛田川)までのあいだ 》

19:この先、明和町勝見集落内へ 20:変形十字路、竹神社前交差点 21:明和町竹川集落内の様子
22:「従是外宮三里」の道標 23:大稲木交差点前の県道標識 24:ここまで来ると櫛田川もすぐ