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ご利用にあたって

はじめに

このサイト「国道の真髄を知る」では、大きく分けて「酷道」と「旧道」を扱っています。 以下の2項は、それぞれに関する説明です。

「酷道」について

一般に「国道」というと「整備の行き届いた走り易い道路」という認識があるようですが、 これが実は大間違いです。見知らぬ土地を旅するとき、道路地図に国道の赤いラインが引いてあると、 なんとなくそちらの方へと走ってみたくなりますが、これが時には悲劇の始まりに。 国道だから大丈夫と思って進んでいくと、いつの間にやらセンターラインは消え、 離合不可箇所が延々続き、挙句の果てにはガードレールまでなくなってしまった、 なんていう経験をされた方もいるのではないでしょうか。

既にお分かりのように、一口に「国道」と言っても様々で、片側3車線以上、 しかも立体交差が連続する高規格なものから、山の中を細々進む荒れたものまで千差万別です。 このうち後者の方、思わず「え、これが国道?」と言ってしまいたくなるような「ひどい国道」のことを、 文字遊びで「酷道」と書いたりしますが、ここはその「酷道」の実態を調査し、写真とともに紹介するサイトです。 (現在の掲載範囲は近畿地方を中心に、関東地方・中部地方・中国地方・四国地方も含む。)

「旧道」について

日本で最初の高速道路(高速自動車国道)が出来たのは昭和38年(1963)、 ご存知「名神高速道路」の栗東〜尼崎間が開通した年のことです。これはもちろん、車の登録台数が急激に増加し、 モータリゼーションが一気に進み始めた当時の社会状況と同時進行のことでした。

開通に先立つこと6年、日本の道路状況の調査に訪れた R・J・ワトキンスの言葉として 「日本の道路は信じがたいほど悪い。工業国にして、ここまで道路網を無視してきた国はない。」と いうものがあります(よく引かれる言葉なのでお知りの方も多いでしょう)。このワトキンス 調査団の提言を受けて、日本の道路は飛躍的に整備されることになったわけです。

昭和41年(1966)発行の『ドライブ実用百科』(実業之日本社)という雑誌を見ていると、 「悪路日本は昔のこと」(戸塚文子氏)だとか、「近ごろの日本の道路の変わりようは、 はげしいものである」(星野芳郎氏)など、目まぐるしく変わる当時の道路状況が手に取るように分かります。なかでも、 戸塚氏の「長い間、鉄道でしか行かれなかったルートを、クルマで行けるようになる」という文言には、 車でしか行けなくなった所がたくさんある今となっては、隔世の感さえあります。

このように、1960年代というのは道路の整備の歴史を見るうえで、かなり重要な転機であった言える でしょう。ではひるがえって、その整備される以前の道路の状況とはどんなものだったのでしょうか。 もちろん、時代を遡って当時の状況を見にいくことは出来ません。しかし、当時の道路地図を紐解くこと により、どのようなルートを取っていたのかを知ることは出来ます。当サイトでは、1960年代の 道路地図を参照し、数ある国道の旧道のうちいくつかを取り上げ、辿ってみることにしました。

参照文献: 武部健一著 『道 II』 法政大学出版局 (2003)、 『ドライブ実用百科』 実業之日本社 (昭和41年)

注意事項

(2006年9月9日、改訂)

# 付録その1

2002年2月1日(金) (関西地区は翌2月2日)、朝日新聞夕刊の 「どっとデジタル」という紙面内、「ほっとマーク」コーナーで当サイトが 紹介されました。このコラムは朝日新聞社外の6人のコラムニストが 週がわりでお気に入りサイトを紹介するもので、この回は山田五郎氏のご担当でした。

当時、紙面に掲載されたのと同じものが朝日新聞ネット版「asahi.com」にても 公開されました。この度の更新を期に、あらためてリンクしようと思ったのですが、 2年半以上を経た今となってはさすがに削除されてしまったようです。残念。 (2004年11月4日)

# 付録その2

2006年2月26日(日)、朝日新聞be-on-Sunday(日曜版)の 「わくわく」という紙面内で当サイトが掲載されました。当サイトからもリンク している「日本の道」と「KOKUDOU.COM」と合わせての紹介でした。 今回はasahi.comの記事に書かれたURLからリンクされたため前回と比べるとアクセス数が 非常に多くなり、カウンタは普段の週末1日分の約10倍もの数字をたたき出しました。 ご覧頂き、どうもありがとうございます。 (2006年3月1日)